日本歴史地名大系 「大悲山村」の解説 大悲山村だいひざんむら 福島県:相馬郡小高町泉沢村大悲山村中世にみえる村名。「だいひさん」「だいひさ」とも称され、のち大久(だいひさ)村となり、元禄一〇年(一六九七)に泉沢(いずみさわ)村と改称したということから(「奥相志」など)、現在の泉沢一帯に比定される。当村は相馬氏の一族大悲山氏の本貫地で、居館もあったといわれる(同書)。文永九年(一二七二)一〇月二九日の関東下知状(大悲山文書)によると、相馬胤村は「陸奥国行方郡大悲山村」などの所領について、被相続人を未決のまま死去したが、同日子息鶴夜叉丸に領知が認められている。相馬系図(歓喜寺蔵)では、胤村の一〇男通胤(相馬余一又道)が大悲山氏の祖とされ、当村および小島田(おしまだ)村(現鹿島町)などを所領としているため、鶴夜叉丸は通胤のことであろう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by