小高町(読み)おだかまち

日本歴史地名大系 「小高町」の解説

小高町
おだかまち

面積:九一・九五平方キロ

太平洋沿岸部の浜通り中部のやや北側、相馬市と原町市によって三区分された相馬郡南端に位置する。北から西は原町市、西から南は双葉郡浪江なみえ町に接し、東は太平洋に臨む。西部は阿武隈高地東縁部にあたり、八丈石はちじようせき(五〇七・一メートル)などの山並が連なる。同山の麓を源とする小高川は町域内をほぼ東流して太平洋に注ぐが、小高市街の北西部で町域北部を流れるまえ川を合流する。これらの河川によって扇状地が形成され、波浪状の小起伏がみられる。扇央部は畑作地で、扇端部からは小高川の沖積平野が広がり、小高市街が形成されている。太平洋岸の海岸線では、塚原つかばら浜・村上むらかみ浜・浦尻うらじり浜にそれぞれ高さ二十数メートルの海食崖がみられるほかは、いずれも一・五キロ前後の長い砂浜を展開し、好適な海水浴場となっている。町域の東部をJR常磐線と国道六号が、西部を主要地方道相馬―浪江線がそれぞれ南北に走り、常磐線には小高と桃内ももうちの二駅がある。町名の由来は中世以来の村名に由来する。

上浦の宮田かみうらのみやた貝塚は縄文時代前期の主鹹貝塚で、出土した縄文時代前期前半の土器宮田第三群土器と称され、関東の関山式期に属する特徴をもつ土器群として定着しつつある。縄文時代中・後期の浦尻貝塚は内湾性貝塚として著名で、複式炉を伴う竪穴住居跡も確認されている。古墳時代の遺跡としては、塚原古墳群小谷の手古塚おやのてごづか古墳などが知られる。近年、上根沢うわねざわ四ッ栗よつぐり遺跡で平安時代の住居跡が発見された。「和名抄」にみえ行方なめかた吉名よしな郷は当町の吉名を遺称地とし、町域南東端部の浦尻から上浦にかけての一帯標葉しねは宇良うら郷に比定される。そのため古代・中世の町域は大部分が行方郡、一部が標葉郡に所属していたとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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