日本歴史地名大系 「大曲村・下大曲村」の解説
大曲村・下大曲村
おおまがりむら・しもおおまがりむら
東境を
正保国絵図に「大曲村」とみえ、元禄国絵図には「大曲村」「下大曲村」とみえる。一村として扱われる場合が多いが、上下に分れ、北西部の大曲村(上大曲村)は天正一八年(一五九〇)より旗本大岡領、寛延元年(一七四八)より三河西大平藩領、南東部の下大曲村は幕府直轄領、元禄一〇年(一六九七)より旗本本間領。天和三年(一六八三)の東海道宿村道場間数高書帳(大和市史四)によれば「大曲村」として一里先の東海道九四間の掃除役を命ぜられている。元禄七年藤沢宿の大助郷高二〇〇石を勤め(「東海道藤沢宿助郷帳」県史九)、延享二年(一七四五)より加助郷を勤める(文政三年「藤沢宿および立場書上帳」藤沢市史二)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報