大月細工村(読み)おおつきさいくむら

日本歴史地名大系 「大月細工村」の解説

大月細工村
おおつきさいくむら

[現在地名]山東町小谷こたに

大月村の北、与布土ようど川対岸に位置する。小谷はもと小岳で、日下部六郎家春がその幽静を好んで来住したので小谷殿と称されたと伝える。家春は朝来郡司天満権守家衡の五子という(梁瀬誌)。弘安八年(一二八五)の但馬国太田文の養父やぶ郡に、糸井いとい(現和田山町)公文として国御家人の小谷太郎家茂がみえる。元和五年(一六一九)出石藩領になったと推定される。寛永一六年(一六三九)の知高帳にみえる「細工村」と考えられ、出石藩領で、高八一石余のうち畑四石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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