大東本郷村(読み)だいとうほんごうむら

日本歴史地名大系 「大東本郷村」の解説

大東本郷村
だいとうほんごうむら

[現在地名]大東町大東

斐伊川支流のあか川中流域に位置し、北は田中たなか村・織部おんべ村、東はいな村・清田せいだ村、南は阿用下分あようしもぶん村、西は大木原おおぎはら村・飯田いいだ村。同川左岸に町場として大東町が形成されており、同町を中心に出雲備後道が南北に走る。中世は大東庄に含まれていたとみられる。永禄八年(一五六五)二月一〇日の上杉佐渡守信通・町原彦左衛門尉豊敬連署書状(坪内家文書)によると、「大東本郷之内六日市・田中村両所」の領民による杵築大社(出雲大社)への参詣に際し、杵築(現大社町)の参詣宿を坪内氏経営の宿とすることが約束されている。正保国絵図に村名がみえる。慶安三年(一六五〇)検地帳によると田方一七町三反余・分米二三一石余、畑方一四町余・分米八四石余、屋敷数は御役目屋敷二・御引屋敷一二(うち御蔵屋敷一・下郡一・寺一)。元禄十年出雲国郷帳では高四三七石余、寛文四年(一六六四)の本田高三七九石余・新田高八石余。「雲陽大数録」によると高四二〇石。製茶業が盛んで、安永二年(一七七三)松江藩主松平治郷が巡視の際に当村の宗専そうせん寺住職に茶の栽培を命じ、十楽寺山および大阪屋畑の小丸山で栽培されたのが大東茶の起源という(大原郡誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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