大柳館跡(読み)おおやぎたちあと

日本歴史地名大系 「大柳館跡」の解説

大柳館跡
おおやぎたちあと

現睦沢町大谷木の表台安養おおやぎのおもてだいあんよう寺付近に比定する説もあるが(一宮町史)、一般には同町北山田きたやまだに所在したと推定されている。玉崎たまさき庄を本領とした上総氏嫡流家の居館であったが(千葉伝考記)、寿永二年(一一八三)上総権介広常の滅亡後、上総氏の遺領の大半を継承した千葉常胤の孫常秀がここに入りその子秀胤に伝えた。秀胤は上総権介となり、評定衆に列して勢威を振るったが、寛元四年(一二四六)の宮騒動で上総に放逐され、翌年の宝治合戦に際しては三浦泰村の妹婿にあたることから幕府の命令を受けた千葉氏一族の東氏・大須賀氏らの軍勢に攻められ、「上総国一宮大柳之館」に火を放って一族郎等一六〇人余とともに自害した(「吾妻鏡」宝治元年六月七日条・「鎌倉大日記」)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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