大森啓助(読み)オオモリ ケイスケ

20世紀日本人名事典 「大森啓助」の解説

大森 啓助
オオモリ ケイスケ

大正・昭和期の洋画家



生年
明治31(1898)年3月15日

没年
昭和62(1987)年3月31日

出生地
兵庫県神戸市

学歴〔年〕
関西学院高等部商科〔大正9年〕卒,川端画学校

主な受賞名〔年〕
春陽会賞〔昭和8年〕

経歴
金山平三に師事し、大正15年渡仏、同年サロン・ドートンヌに初出品する。昭和7年帰国し、翌8年春陽会展に初出品、9年同展で春陽会賞を受賞し会友となるが、11年国画会に転じ会友となる。12年から1年間滞欧し、18年国画会会員。風景や室内の裸婦人物を多く主題とした他、歌舞伎絵もよくした。著書に「印象派の話」「ヴァン・ゴッホ」、訳書に「絵画」「画家テクニック」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大森啓助」の解説

大森啓助 おおもり-けいすけ

1898-1987 大正-昭和時代の洋画家。
明治31年3月15日生まれ。金山平三に師事し,また川端画学校にまなぶ。ヨーロッパ留学後,春陽会会友となる。昭和11年国画会に転じ,18年会員。印象派全般にわたる著作,翻訳もおおい。昭和62年3月31日死去。89歳。兵庫県出身。関西学院高等部卒。著作に「印象派の話」「ヴァン・ゴッホ」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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