日本歴史地名大系 「大森惣墓」の解説 大森惣墓おおもりそうばか 京都市:北区東河内村大森惣墓東河内(ひがしかわち)村(現大森東町)・中(なか)村(現大森中町)・西河内村(現大森西町)の三村にあり、合すると二万三九四平方メートルに及ぶ中世惣墓の一。三地区に各々五輪塔がある。惣墓とは、個人墓の発達していなかった中世以前に、部落のはずれなどにつくられた一種の共同墓地で、死体を土葬または風葬にし一個ないし数個の供養塔が建てられた。東町の五輪塔には「応安五年壬子八月廿五日造立之」の年紀があり、西町のものには「西河内一結衆等建立、至徳二年乙丑二月日敬白」と刻まれ、いずれも南北朝時代のものである。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報