大槻十三(読み)オオツキ ジュウゾウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「大槻十三」の解説

大槻 十三
オオツキ ジュウゾウ


職業
能楽師(観世流シテ方)

資格
重要無形文化財総合指定保持者〔昭和32年〕

生年月日
明治22年 5月24日

出生地
大阪

経歴
大槻富太郎(文雪)の長男。父や大西亮太郎、大西閑雪師事。明治29年「三井寺」の子方で初舞台、33年「吉野静」で初シテを演じた。38年上京、家元観世清簾の内弟子となり、44年独立した。大正12年11月日比谷音楽堂で、関東大震災後の文化復興を願って観世喜之と野外能を開催した。昭和の初め大阪に帰ったが、東京、名古屋などで活躍。昭和10年大阪上本町に、桝席をやめて椅子席による大槻能楽堂を建設した。36年には秘曲関寺小町」を披露した。32年日本能楽会会員。

没年月日
昭和37年 1月14日 (1962年)

家族
父=大槻 文雪(能楽師),長男=大槻 秀夫(能楽師)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「大槻十三」の解説

大槻 十三
オオツキ ジュウゾウ

明治〜昭和期の能楽師(観世流シテ方)



生年
明治22(1889)年5月24日

没年
昭和37(1962)年1月14日

出生地
大阪

経歴
大槻富太郎(文雪)の長男。父や大西亮太郎、大西閑雪に師事。明治29年「三井寺」の子方で初舞台、33年「吉野静」で初シテを演じた。38年上京、家元観世清簾の内弟子となり、44年独立した。大正12年11月日比谷音楽堂で、関東大震災後の文化復興を願って観世喜之と野外能を開催した。昭和の初め大阪に帰ったが、東京、名古屋などで活躍。昭和10年大阪上本町に、桝席をやめて椅子席による大槻能楽堂を建設した。36年には秘曲「関寺小町」を披露した。32年日本能楽会会員。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大槻十三」の解説

大槻十三 おおつき-じゅうぞう

1889-1962 明治-昭和時代の能楽師シテ方。
明治22年5月24日生まれ。父の大槻文雪と大西閑雪に師事し,明治33年「吉野静」で初シテを演じる。38年観世清簾(きよかど)の内弟子となり,44年に独立。昭和10年大阪に初の全館椅子席による大槻能楽堂を建設した。昭和37年1月14日死去。72歳。大阪出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android