出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
能の曲名。四番目物。狂女物。世阿弥時代からあったらしい能。シテは千満(せんみつ)の母(狂女)。子どもを人買いにさらわれた母親(前ジテ)が,清水の観音に参ると,三井寺へ行けという夢の告げを受ける。夢占いの男(アイ)の判断も吉だったので,喜んで近江に向かう。三井寺では,住職(ワキ)たちが稚児(子方)を連れて十五夜の月見をしている。一方,母親は,長らくの物思いで物狂い(後ジテ)となったが,道を急いで三井寺に着く(〈カケリ・上歌(あげうた)〉)。狂女は,能力(のうりき)(アイ)の突く鐘の音に引かれて鐘楼に近づき,とがめられると古詩を引いて許しを求め,みずから鐘を突いて戯れる(〈鐘ノ段〉)。また興奮がおさまると,静かに澄み渡る琵琶湖の夜景を心ゆくまで眺めて時を過ごす(〈クセ〉)。そのうち月見の席の稚児がわが子の千満と知り,狂気も直って連れ立って帰って行く。狂女物の中でも屈指の名作である。沈静の場と興奮の場を交互に配して美しく作曲されている。長唄《娘道成寺》に詞章が引用されている。
執筆者:横道 万里雄
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能の曲目。四番目物。五流現行曲。世阿弥(ぜあみ)の作という説もあり、『申楽談儀(さるがくだんぎ)』に出てくる『鐘の能』が古名ともいう。春の『隅田川(すみだがわ)』と並ぶ、秋の狂女物の名作。行方知れずのわが子を求めて都に上った母(前シテ)は、清水(きよみず)寺で霊夢をみ、門前の夢占いの男(アイ狂言)の勧めで三井寺へと急ぐ。仲秋の名月の夜、三井寺では少年(子方)と住僧たち(ワキ、ワキツレ数人)の月見の宴である。寺男(アイ狂言)のつく鐘の音が琵琶(びわ)湖に響き、狂女の姿で登場した母(後シテ)は鐘をつこうとして制止されるが、漢詩を引用し、鐘の故事を語りつつ、月下に興ずる。少年の名のりで、親子再会して終わる。古来「謡・三井寺、能・松風」として好まれ、とくに鐘に戯れる部分は「鐘之段」とよばれ、優れた作詞・作曲の部分である。『道成寺(どうじょうじ)』の鐘は実物大の作り物を舞台に吊(つ)り上げるが、『三井寺』の作り物の鐘楼はミニチュア化され、鐘は風鈴大で風情を添える。
[増田正造]
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…山号は長等山。俗に三井寺といい,山門(延暦寺)に対して寺門ともいう。寺伝では,大友皇子の発願にもとづき,その子大友与多麿が686年(朱鳥1)に開創したというが,これは山門に対抗するための付会説で,実際には出土の瓦から,当地に住む大友村主(すぐり)氏の氏寺として白鳳時代に創建されたものであろう。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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