大西閑雪(読み)オオニシ カンセツ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「大西閑雪」の解説

大西 閑雪
オオニシ カンセツ


職業
能楽師

本名
鑑一郎

別名
幼名=新蔵,前名=新右衛門,鑑一郎

生年月日
天保11年 12月12日

出生地
大坂(大阪府)

経歴
観世流シテ方。はじめ、京観世岩井派の名人と言われた父大西寸松より稽古を受け、のち江戸に出て観世清孝に師事した。安政2年(1855年)大坂に戻り、岩井七郎右衛門に謡を、立方を片山九郎右衛門に学ぶ。明治維新後は主に京阪地区で活躍し、明治10年の明治天皇大坂行幸の天覧能では「橋弁慶」を演じた。多くの門弟を育てるなど京阪能楽界の復興に尽力し、33年観世流の家元観世清廉より雪号を許され、以後は閑雪を名乗った。狂女物と現存物を得意とした。

没年月日
大正5年 12月14日 (1916年)

家族
父=大西 寸松(能楽師)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「大西閑雪」の解説

大西 閑雪
オオニシ カンセツ

明治・大正期の能楽師



生年
天保11年12月12日(1841年)

没年
大正5(1916)年12月14日

出生地
大坂

本名
鑑一郎

別名
幼名=新蔵,前名=新右衛門,鑑一郎

経歴
観世流シテ方。はじめ、京観世岩井派の名人と言われた父大西寸松より稽古を受け、のち江戸に出て観世清孝に師事した。安政2年(1855年)大坂に戻り、岩井七郎右衛門に謡を、立方を片山九郎右衛門に学ぶ。明治維新後は主に京阪地区で活躍し、明治10年の明治天皇大坂行幸の天覧能では「橋弁慶」を演じた。多くの門弟を育てるなど京阪能楽界の復興に尽力し、33年観世流の家元観世清廉より雪号を許され、以後は閑雪を名乗った。狂女物と現存物を得意とした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大西閑雪」の解説

大西閑雪 おおにし-かんせつ

1841*-1916 明治-大正時代の能楽師シテ方。
天保(てんぽう)11年12月12日生まれ。大坂の人。江戸へでて観世(かんぜ)清孝にまなぶ。観世岩井派の名人といわれ,明治33年観世清廉(きょかど)から雪号を許された。大正5年12月14日死去。77歳。本名は鑑一郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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