精選版 日本国語大辞典 「大槻玄幹」の意味・読み・例文・類語 おおつき‐げんかん【大槻玄幹】 江戸後期の医者。蘭学者。玄沢の長男。号磐里。医書の翻訳のほかオランダ語の文法書「蘭学凡」を著わす。天明五~天保八年(一七八五‐一八三七) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大槻玄幹」の解説 大槻玄幹 おおつき-げんかん 1785-1838* 江戸時代後期の蘭学者,医師。天明5年9月9日生まれ。大槻玄沢の長男。長崎で志筑(しづき)忠雄にオランダ語をまなぶ。仙台藩医をつとめるかたわら,オランダ語文法書「蘭学凡(はん)」をあらわす。文政7年幕府天文方の蛮書和解(ばんしょわげ)御用の翻訳官となった。天保(てんぽう)8年12月13日死去。53歳。陸奥(むつ)一関(岩手県)出身。名は茂楨(しげえだ)。字(あざな)は子節。号は磐里。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「大槻玄幹」の解説 大槻玄幹 (おおつきげんかん) 生年月日:1785年9月9日江戸時代後期の蘭方医;陸奥仙台藩医1838年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by