一関(読み)イチノセキ

デジタル大辞泉 「一関」の意味・読み・例文・類語

いちのせき【一関】

岩手県南部の市。もと陸羽街道の宿場町田村氏城下町。県南地方の流通中心地。平成17年(2005)に周辺6町村と合併、平成23年(2011)藤沢町編入。人口12.7万(2012)。

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精選版 日本国語大辞典 「一関」の意味・読み・例文・類語

いちのせき【一関】

  1. 岩手県南端の地名。奥州街道気仙沼街道が通じ、北上川水運の便もよく交通の要地。万治三年(一六六〇)から伊達氏の家臣、田村氏三万石の城下町として発展。昭和二三年(一九四八)市制。

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改訂新版 世界大百科事典 「一関」の意味・わかりやすい解説

一関[市] (いちのせき)

岩手県南西端の市。2005年9月旧一関市と千厩(せんまや),大東(だいとう),花泉(はないずみ),東山(ひがしやま)の4町および川崎(かわさき),室根(むろね)の2村が合体して成立した。人口11万8578(2010)。11年9月藤沢(ふじさわ)町を編入。

一関市西部の旧市。北上盆地南端にある。1948年西磐井郡一関町と山目町,中里村,真滝村が合体して一関市となり,55年厳美,萩荘,弥栄,東磐井郡舞川の4村と合体。人口6万3510(2000)。西に奥羽山脈,東に北上高地がせまり,その間を北上川が南流する。西方の須川岳に源を発する磐井川が市街地の中心部を流れ,市域東端の狐禅寺で北上川に注ぐ。古く安倍氏時代に関塞(関所)を置いたのが市名のおこりといわれ,1682年(天和2)以降は田村藩の城下町として発展し,釣山公園に一関城址がある。近世蘭学発展の功労者である田村藩医建部清庵や大槻玄沢など,後世に名を残す医師を出した。1890年東北本線が開通するまでの交通は,もっぱら北上川舟運に依存し,狐禅寺は500石船の積替港として栄えた。1947年,48年のカスリン,アイオン台風の洪水で多くの死者,流出家屋を出す大被害をうけたが,その後,ダム建設や河川改修などによる対策が進められてきた。東北本線,東北自動車道,東北新幹線が南北に走り,JR大船渡線が分岐する交通の要地で,県南地方の流通基地を目指す一関流通団地や一関東工業団地が昭和50年代から造成された。電気機器工業を中心に県内3位(1995)の製造品出荷額をあげている。宮城県境の国定公園栗駒山,中腹の須川温泉,磐井川の厳美渓,東隣の旧東山町砂鉄川にある猊鼻(げいび)渓(名),北隣平泉町の中尊寺を結ぶ観光基地である。
執筆者:

平安時代には磐井郡七郷(《和名抄》)の一つに属したものと考えられ,安倍氏,平泉藤原氏の支配下にあった。1189年(文治5)鎌倉幕府の奥州侵攻に伴い奥州総奉行葛西氏の支配に属し,16世紀後半にその臣小野寺伊賀の居館があったと伝える。1590年(天正18)豊臣秀吉の奥州仕置後,葛西・大崎一揆が起こり,一関城も一時その手におちたが,翌年一揆鎮定に功あった伊達政宗の所領となった。留守政景,伊達宗勝の知行を経て,1682年伊達氏一族田村建顕が封ぜられ,一関に居館を構え3万石を領した。家中・足軽屋敷のほか《安永風土記》によれば町住居90軒,村住居23軒の宿駅であったが,一関村を称していた。維新後一関県,磐井県の県庁所在地であった。
執筆者:

一関市中央部の旧村。旧東磐井(ひがしいわい)郡所属。人口4634(2000)。北から流入する砂鉄川,東から流入する千厩川が西境で北上川と合流する。川沿いに小沖積地があるほかは,標高200m前後の丘陵が広く分布する。砂鉄・千厩両川の合流点に位置する主要集落の薄衣はかつて北上川舟運の河港として栄えたが,村域西部を通る大船渡線の開通(1925)でさびれた。畜産,タバコ栽培,米作などを主体とする農業が基幹産業である。北上川の平泉付近から薄衣付近までは〈北上川ライン〉と名付けられた景勝地で,特に紅葉の美しさは有名。

一関市東部中央の旧町。旧東磐井郡所属。人口1万3504(2000)。北東部の室根山(895m)を頂点に東と南を標高200~400mの北上高地の丘陵に囲まれた盆地にあり,室根山から発する千厩川が中央を南西流する。古くから馬産が盛んで,千厩の地名はそこからつけられたともいわれる。近世は一関と気仙沼の中間にある交通の要地としてにぎわい,現在はJR大船渡線が通じる。主産業は農業で,米のほか,タバコ栽培,酪農のほか,近年は野菜・花卉栽培が盛ん。室根山一帯は県立自然公園に指定されている。

一関市北東部の旧町。旧東磐井郡所属。人口1万7789(2000)。北西部は奥州市に,東は陸前高田市に接する。北上高地南端の丘陵地帯にあり,中央南側を北上川の支流砂鉄川が西流する。中心集落の大原は近世に一関と陸前高田を結ぶ今泉街道の宿駅として栄え,内陸の産物と海産物との交易市場でもあったが,1925年大船渡線が南西端の摺沢(すりさわ)を通ることになって衰えた。主産業は農業で,米作のほか,タバコ栽培や酪農などが行われ,養蚕,シイタケ栽培では県下一の生産高を誇る。2月11日に八幡神社で行われる大原の水掛祭は厄落しの奇祭として有名。渋民は江戸中期の儒者で《無刑録》を著した蘆(あし)東山の生地である。

一関市南端西部の旧町。旧西磐井郡所属。人口1万6127(2000)。東境を流れる北上川と支流の金流川の流域に沖積地が開け,東北本線,国道342号線が縦断する。米作,畜産,養蚕などが盛んで,特に磐井牛の主産地として知られる。町内には縄文後・晩期の貝鳥貝塚や奈良時代末期の杉山古墳群などがあり,付近からは更新世末期の獣骨の化石も出土している。

一関市中央部北寄りの旧町。旧東磐井郡所属。人口8493(2000)。西は旧一関市に接する。北上川の支流砂鉄川沿いにJR大船渡線が通じる。小沖積地があるほかは,町域の大部分が北上高地西部の丘陵地帯からなる。中心集落は長坂。町域一帯は豊富な石灰岩に恵まれ,1958年のセメント工場誘致以来工業が発展し,米作,タバコ栽培中心の農業とともに町経済の主柱となっている。手すき和紙(東山(とうざん)紙),紫雲石でつくる硯(すずり)が特産品として知られる。砂鉄川上流に猊鼻渓(名)がある。

一関市南端東部の旧町。旧東磐井郡所属。人口9064(2010)。北上高地南端に連なる丘陵地帯で,西境を北上川が南流し,中央を西流する北上川の支流黄海(きのみ)川沿いに若干の沖積地がある。米作,タバコ栽培が行われ,近年は畜産の発展が著しい。山林では南部アカマツの良材を産する。南東端の大籠(おおかご)には,永禄年間(1558-70)備中より製鉄技法とともにキリシタン信仰が伝わったが,江戸時代初期,仙台藩によって300余人のキリシタンが処刑された。

一関市東端の旧村。旧東磐井郡所属。人口6316(2000)。東と南は宮城県に接する。北上高地南端にあたり室根山(895m)をはじめとする標高300~900mの山々が広く分布する。北部を太田川が東流,南部を津谷川が南流し,それぞれ小沖積地を形成する。北部の中心集落はJR大船渡線,国道284号線が通る折壁。米,タバコ,畜産,果樹栽培を中心とする農業が主産業である。山林はかつて県下一の人工林率を誇り,優良材を産し,シイタケ栽培も盛んである。北西端の室根山山頂はツツジの群生地。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「一関」の意味・わかりやすい解説

一関(市)
いちのせき

岩手県南部、北上(きたかみ)平野の南端にある市。西部は奥羽山脈の栗駒(くりこま)国定公園、東部は北上山地の室根(むろね)高原県立自然公園の指定域。1948年(昭和23)一関、山目(やまのめ)の2町と中里、真滝(またき)の2村が合併して市制施行。1955年厳美(げんび)、萩荘(はぎしょう)、弥栄(やさかえ)、舞川(まいかわ)の4村を合併。2005年(平成17)、西磐井(にしいわい)郡花泉町(はないずみまち)、東磐井郡大東町(だいとうちょう)、千厩町(せんまやちょう)、東山町(ひがしやまちょう)、室根村(むろねむら)、川崎村(かわさきむら)を合併。2011年、東磐井郡藤沢町(ふじさわちょう)を編入。東北自動車道、国道4号、284号、342号、343号、456号、457号、JR東北本線、東北新幹線が走り、JR大船渡(おおふなと)線の分岐点である。西の栗駒山に発する磐井川が市の中心部を貫流して市中央部で北上川右岸に注ぎ、左岸には東の北上山地を水源とする砂鉄(さてつ)川、千厩川、黄海(きのみ)川が注ぐ。古代末の安倍(あべ)氏から藤原、葛西(かさい)氏の居館地となり、1607年(慶長12)に仙台藩領、1681年(天和1)以降は田村氏一関3万石の城下となった。建部清庵(たけべせいあん)、大槻玄沢(おおつきげんたく)など多くの蘭医(らんい)を輩出している。1890年(明治23)東北本線開通以前は、北上川水運に依存し、狐禅寺(こぜんじ)は500石積みの積替え港として栄えた。1947年のカスリーン台風、翌1948年のアイオン台風の洪水で大きな被害を受けた。現在は県南地方の流通拠点を目ざす一関流通団地や一関東工業団地が造成され、電子工業、精密機械などの工場がある。2011年の東日本大震災では死者15人・行方不明2人、住家全壊57棟・半壊737棟(旧藤沢町を含む)の被害を受けた(消防庁災害対策本部「平成23年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)について(第159報)」平成31年3月8日)。特産に曲がりネギ、凍豆腐(しみどうふ)などがあり、国営総合開拓パイロット事業によって果樹園芸なども行われる。葉タバコ栽培、牧畜、酪農も盛ん。栗駒山麓(さんろく)には真湯(しんゆ)、須川温泉があり、磐井川に沿って渓谷美に富む厳美渓(国指定名勝・天然記念物)、砂鉄川には猊鼻渓(げいびけい)(国指定名勝)がある。面積1256.42平方キロメートル、人口11万1932(2020)。

[川本忠平]

『『一関市史』全7巻(1975~1978・一関市)』


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百科事典マイペディア 「一関」の意味・わかりやすい解説

一関[市]【いちのせき】

岩手県南部,北上川の支流磐井川及び砂鉄川全流域を占める市。1948年市制。磐井川下流部の北上川との合流地付近に市街がある。近世には伊達氏支藩の城下町,奥州街道の宿駅として発達した。東北新幹線,東北本線,東北自動車道が通じ,大船渡線が分岐,県南地区の中核都市をなしている。昭和50年代から工業団地の造成が進み,製造品出荷額は3095億円(2003)で県内2位,電気,機械工業が立地している。磐井川下流部はしばしば水害を受けたが,北上特定開発により堤防が強化された。厳美渓(名勝・天然記念物)がある。2005年9月西磐井郡花泉町,東磐井郡千厩町,大東町,東山町,室根村,川崎村を,2011年9月東磐井郡藤沢町を編入。東日本大震災で,市内において被害が発生。1256.42km2。12万7642人(2010)。
→関連項目北上盆地

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