大浦・追浦(読み)おおうら・おううら

日本歴史地名大系 「大浦・追浦」の解説

大浦・追浦
おおうら・おううら

中世にみえる地名で、初め佐護さご郡のうち、のち豊崎とよさき郡に属する。「おほ浦」「あふら」「大浦」「追浦」などと記される。応永一〇年(一四〇三)一〇月二七日の宗貞茂宛行状(豊崎郷給人等判物写、以下断りのない限り同判物写)に「佐護郡之内大浦」とみえ、「にゑの御さい用途」「かゑ物用途」「鷲のゑ用途」「しはいのあい代用途」などが宗弾正忠の給分として宛行われた。同二五年惣領家の宗貞茂の子貞盛は、大浦の宗兵庫佐に「山て、木て、かき物」などの諸公事を免除した(同年四月六日宗貞盛書下)。同三二年「さこの郡之内あふら(中略)一所、こうら」が宗三郎に安堵されたが(同年六月一四日宗貞盛安堵書下写)、この「こうら」は河内の枝郷の小浦、つまりのちの左河内さごうちに比定される。文安二年(一四四五)「豊崎郡之内、おうの村之内あかふいうちたのかしらとい内」の地が給分として宗掃部助に宛行われ(同年八月一七日宗貞盛宛行状写)、同四年そのうち「とい内」は女子分の畠であったが、その三分の一を給分に相添えて掃部助に渡した(同年九月二八日「宗貞盛書下」馬廻判物帳)。同六年「豊崎おうの浦」の柿の木畠の知行が宗伯耆守に認められ(同年六月二七日宗貞盛書下)、寛正四年(一四六三)宗彦八に「船の一へう物」(俵物交易の公事)とともに安堵された(同年三月六日宗成職安堵書下など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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