大源庵跡(読み)だいげんあんあと

日本歴史地名大系 「大源庵跡」の解説

大源庵跡
だいげんあんあと

[現在地名]北区紫竹牛若町

江戸時代初期に源義朝の旧跡地と伝える地に建てられていた寺。臨済宗であった。蜂須賀家が京都大徳寺一四八世の玉室宗珀を開基に迎えて慶長年間(一五九六―一六一五)に創建したといい、「山州名跡志」は「大源」が源義朝の別荘地であったという伝承にちなみ、「在(紫竹)人家南竹林、門南向」と記す。「上賀茂行程」も「大源菴ニ到ル、此ノ地ハふる御所ト云ヘリ、源義朝ノ別荘アリ、愛妾常盤御前ヲ置シ所ナリ、義経誕生ノ時ニ産湯ニ用ル井アリ、至テ清冷ナリ、然ルヲ大徳寺玉室和尚ノ開基ニテ寺トナリ、大源菴ト称ス、樹木并ニ四際ノ堀所由アル体ナリ」と記し、当所を源家の旧跡地として伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報