常盤御前(読み)トキワゴゼン

デジタル大辞泉 「常盤御前」の意味・読み・例文・類語

ときわ‐ごぜん〔ときは‐〕【常盤御前】

源義経の母。近衛天皇の中宮九条院の雑仕ぞうしであったが、源義朝の妾となり、今若・乙若・牛若(義経)を生んだ。義朝の死後、母と子赦免を条件に平清盛の妾となり、のち、藤原長成に嫁したと伝えられる。生没年未詳。

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精選版 日本国語大辞典 「常盤御前」の意味・読み・例文・類語

ときわ‐ごぜんときは‥【常盤御前】

  1. 平安末期の女性。九条院(近衛天皇の皇后)の雑仕(ぞうし)で、源義朝の妾となり、牛若(源義経)ら三児を生む。平治の乱で、平氏の追及にあい六波羅に自首、母子の赦免を条件に清盛の寵愛を受けた。のち、藤原長成に嫁したと伝える。常盤。生没年不詳。

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改訂新版 世界大百科事典 「常盤御前」の意味・わかりやすい解説

常盤御前 (ときわごぜん)

平安末期の女性。生没年不詳。九条院(近衛院の后藤原呈子)の雑仕女であったが,源義朝の妾となって今若(のちの阿野全成),乙若(のちの愛智円成,義円),牛若(のちの義経)を生んだ。平治の乱による平氏の追及にあい,母と3人の子の助命のために六波羅に自首。その後平清盛の寵愛をうけ,廊の御方(建礼門院の雑仕女)を生んだ。さらにのち正四位下大蔵卿藤原長成に嫁して侍従能成を生んだ。
執筆者: 幸若舞曲では,常盤御前は才色兼備の貴女として造形され,波乱に富んだ生涯を送ったことになっている。都落ちから清盛の愛妾となったことを扱った《伏見常盤》《靡(なびき)常盤》,女人結界の鞍馬寺に登り,別当東光の阿闍梨(あじやり)と法問を繰り広げたのち,牛若を託したという《常盤問答》,鞍馬寺を出て奥州へ下った牛若の後を追い,山中宿で盗賊に遭って殺害されたという《山中(やまなか)常盤》がある。時に,常盤御前43歳であったという。常盤御前という呼称をはじめとして,幸若舞曲に見られる常盤像が後世に踏襲されていくのである。ただ,《伏見常盤》では常盤御前の両親を〈父は梅津の源左衛門,母は桂の宰相〉とするのに対し,《山中常盤》では〈大和源氏大将に,宇田のとうしがむすめ〉であるとするような食違いが間々あることや,古浄瑠璃《常盤物語》の存在などを勘案すると,作品化されたものの背後には,多様な常盤の物語が存在していたものと考えられる。《義経記》では,義経が母とは互いに快からぬ関係にあったと述懐しているが,物語の中での常盤御前像にはつねに源義経の影が付きまとっていたのである。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「常盤御前」の意味・わかりやすい解説

常盤御前
ときわごぜん

生没年不詳。源義経(よしつね)の母。近衛(このえ)天皇の皇后九条院(くじょういん)(藤原呈子)の奥向きの召使いであったが、のち源義朝(よしとも)の妾(しょう)となり、今若(いまわか)、乙若(おとわか)、牛若(うしわか)の3児をもうける。平治(へいじ)の乱(1159)に敗れた義朝が殺されると、常盤は平氏の追及を逃れて3児を連れ大和(やまと)国(奈良県)に隠れた。しかし、平氏に捕らえられた母を助けるため六波羅(ろくはら)に自首し、許された。このとき平清盛(きよもり)の妾となったとも伝えられる。のち一条大蔵卿(いちじょうおおくらきょう)藤原長成(ながしげ)に嫁した。3児は仏門に入ったが、鞍馬(くらま)山(京都市左京区鞍馬本町)にのぼった牛若がのち義経となった。美貌(びぼう)の誉れ高き女性である。歌舞伎(かぶき)『鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)』(一条大蔵譚(ものがたり))に登場する常盤は、立(たて)女方(おやま)の役どころである。

[田辺久子]

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朝日日本歴史人物事典 「常盤御前」の解説

常盤御前

生年:生没年不詳
平安末期の女性。初め九条院藤原呈子の雑仕女でみやこ一の美貌とうたわれた。16歳で源義朝の妻となり,今若(全成),乙若(義円),牛若(義経)を生む。平治の乱(1159)で義朝が敗れると,平清盛の追手を逃れて大和に隠れるが,母を人質にとられ,六波羅へ子連れで自首。清盛はその容色に目を奪われて助命,妾とし廓御方(左大臣藤原兼雅女房)をもうけた。清盛の寵が衰えると大蔵卿藤原長成に嫁し能成を生んだ。『尊卑分脈』にはこれら5人の子の母として常盤の名が記されているが他に史料が乏しく,以上の生涯は『平治物語』や『義経記』に語られているものである。

(小川寿子)

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百科事典マイペディア 「常盤御前」の意味・わかりやすい解説

常盤御前【ときわごぜん】

生没年不詳。源義朝の妾(しょう)。今若(いまわか)・乙若(おとわか)・牛若(源義経)らを産む。平治の乱で義朝の死後,平清盛の寵(ちょう)を得,のち藤原(一条)長成(ながなり)に嫁した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「常盤御前」の意味・わかりやすい解説

常盤御前
ときわごぜん

平安時代末期,源義朝の妾。常磐とも書く。初め近衛天皇の后九条院の雑仕をつとめていた。今若,乙若,牛若 (義経) の母。平治の乱で義朝が尾張で殺されたのち,大和に隠れたが,老母や子供を助けるため平清盛の愛を受け,のち一条長成の妻となった。『平治物語』にみえ,以後幸若舞曲の『伏見常盤』『山中常盤』『靡常盤』などに展開,江戸時代の浄瑠璃,歌舞伎の判官物にも登場する。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「常盤御前」の解説

常盤御前
ときわごぜん

生没年不詳。平安末期の女性。九条院(藤原呈子)の雑仕女。源義朝の妾となり,今若(阿野全成(あのぜんじょう))・乙若(義円,愛智円成)・牛若(源義経)を生む。平治の乱で義朝が敗北したあと,母と3児の助命を請い六波羅に出頭。その後平清盛の妾となり,廊の御方(藤原兼雅の妻)を生んだ。のち大蔵卿藤原長成の妻となり,能成を生む。「平家物語」「義経記」に登場し,後世の幸若舞や古浄瑠璃の題材とされた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「常盤御前」の解説

常盤御前 ときわごぜん

?-? 平安時代後期,源義経(よしつね)の母。
九条院の女官から源義朝(よしとも)の妻となり,今若(阿野全成(ぜんじょう)),乙若(義円),牛若(源義経)を生む。平治(へいじ)の乱(1159)で義朝が敗れると,母と3児の助命をねがい六波羅(ろくはら)に出頭,平清盛(きよもり)の妾となった。のち藤原長成(ながなり)と再婚。名は常葉,常磐ともかく。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「常盤御前」の解説

常盤御前
(通称)
ときわごぜん

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
雪解松操繖
初演
弘化2.1(江戸・中村座)

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世界大百科事典(旧版)内の常盤御前の言及

【宗清】より

…義太夫節の《源氏烏帽子折(げんじえぼしおり)》2段目の翻案。源義朝の妻常盤御前が,今若丸,乙若丸,牛若丸3人の子を連れて雪の木幡の関にかかると,平清盛の命で,義朝の残党を詮議するために関をかためていた弥平兵衛宗清に見とがめられる。宗清は常盤に,子どもを救うために操を捨てて清盛に従えとすすめ,六波羅に伴う。…

※「常盤御前」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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