平安末期の女性。生没年不詳。九条院(近衛院の后藤原呈子)の雑仕女であったが,源義朝の妾となって今若(のちの阿野全成),乙若(のちの愛智円成,義円),牛若(のちの義経)を生んだ。平治の乱による平氏の追及にあい,母と3人の子の助命のために六波羅に自首。その後平清盛の寵愛をうけ,廊の御方(建礼門院の雑仕女)を生んだ。さらにのち正四位下大蔵卿藤原長成に嫁して侍従能成を生んだ。
執筆者:小田 雄三 幸若舞曲では,常盤御前は才色兼備の貴女として造形され,波乱に富んだ生涯を送ったことになっている。都落ちから清盛の愛妾となったことを扱った《伏見常盤》《靡(なびき)常盤》,女人結界の鞍馬寺に登り,別当東光の阿闍梨(あじやり)と法問を繰り広げたのち,牛若を託したという《常盤問答》,鞍馬寺を出て奥州へ下った牛若の後を追い,山中宿で盗賊に遭って殺害されたという《山中(やまなか)常盤》がある。時に,常盤御前43歳であったという。常盤御前という呼称をはじめとして,幸若舞曲に見られる常盤像が後世に踏襲されていくのである。ただ,《伏見常盤》では常盤御前の両親を〈父は梅津の源左衛門,母は桂の宰相〉とするのに対し,《山中常盤》では〈大和源氏の大将に,宇田のとうしがむすめ〉であるとするような食違いが間々あることや,古浄瑠璃《常盤物語》の存在などを勘案すると,作品化されたものの背後には,多様な常盤の物語が存在していたものと考えられる。《義経記》では,義経が母とは互いに快からぬ関係にあったと述懐しているが,物語の中での常盤御前像にはつねに源義経の影が付きまとっていたのである。
執筆者:西脇 哲夫
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生没年不詳。源義経(よしつね)の母。近衛(このえ)天皇の皇后九条院(くじょういん)(藤原呈子)の奥向きの召使いであったが、のち源義朝(よしとも)の妾(しょう)となり、今若(いまわか)、乙若(おとわか)、牛若(うしわか)の3児をもうける。平治(へいじ)の乱(1159)に敗れた義朝が殺されると、常盤は平氏の追及を逃れて3児を連れ大和(やまと)国(奈良県)に隠れた。しかし、平氏に捕らえられた母を助けるため六波羅(ろくはら)に自首し、許された。このとき平清盛(きよもり)の妾となったとも伝えられる。のち一条大蔵卿(いちじょうおおくらきょう)藤原長成(ながしげ)に嫁した。3児は仏門に入ったが、鞍馬(くらま)山(京都市左京区鞍馬本町)にのぼった牛若がのち義経となった。美貌(びぼう)の誉れ高き女性である。歌舞伎(かぶき)『鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)』(一条大蔵譚(ものがたり))に登場する常盤は、立(たて)女方(おやま)の役どころである。
[田辺久子]
(小川寿子)
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生没年不詳。平安末期の女性。九条院(藤原呈子)の雑仕女。源義朝の妾となり,今若(阿野全成(あのぜんじょう))・乙若(義円,愛智円成)・牛若(源義経)を生む。平治の乱で義朝が敗北したあと,母と3児の助命を請い六波羅に出頭。その後平清盛の妾となり,廊の御方(藤原兼雅の妻)を生んだ。のち大蔵卿藤原長成の妻となり,能成を生む。「平家物語」「義経記」に登場し,後世の幸若舞や古浄瑠璃の題材とされた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…義太夫節の《源氏烏帽子折(げんじえぼしおり)》2段目の翻案。源義朝の妻常盤御前が,今若丸,乙若丸,牛若丸3人の子を連れて雪の木幡の関にかかると,平清盛の命で,義朝の残党を詮議するために関をかためていた弥平兵衛宗清に見とがめられる。宗清は常盤に,子どもを救うために操を捨てて清盛に従えとすすめ,六波羅に伴う。…
※「常盤御前」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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