日本歴史地名大系 「大宮郷」の解説
大宮郷
おおみやごう
- 京都市:北区
- 大宮郷
船岡山の周辺から北に広がる一帯で、
大宮郷
おおみやごう
- 埼玉県:秩父市
- 大宮郷
現秩父市のほぼ中央に位置し、東は
〔町勢〕
田園簿では大宮町とみえ、高二千二六四石余・此永四五二貫八三一文とあり、幕府領。寛文三年(一六六三)忍藩領となり、幕末まで同藩領。同年の忍藩秩父領物成可納割付之帳(松本家文書)によると反別は田七七町八反余・畑三五八町三反余、田に対して畑の面積が四・六倍で、年貢は米納ができず金納であった。当地は産出する米麦では年間の食糧を充足できず、小商品生産の必要から絹織が盛んになった。天明六年(一七八六)忍藩秩父領村々人数改帳写(同文書)によると、総人数三千七七三(うち百姓三千四二九)、また妙見社領三二九人、
大宮郷
おおみやごう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報