日本歴史地名大系 「大無礼村」の解説 大無礼村おおむれむら 大分県:大野郡緒方町大無礼村[現在地名]緒方町平石(ひらいし)小畑(おばた)村の南西にあり、北を馬背戸(ませど)川、南西をその支流尾尻(おじり)川に挟まれる。「豊後国志」に大牟礼(おおむれ)と村名がみえる。旧高旧領取調帳では高六八石余。安永七年(一七七八)には馬背戸組に属した(大庄屋・小庄屋・横目一覧「農民一揆」所収)。 大無礼村おおむれむら 大分県:大野郡三重町大無礼村[現在地名]三重町伏野(ふせの) 大無礼中津無礼(なかつむれ)村の南東、北西流する奥畑(おくばた)川流域にある。文禄二年(一五九三)以降岡藩領。正保郷帳に村名がみえ、田方一二石余・畑方一五石余、宇田枝(うたえだ)郷に属し、茅山有と注記される。幕末までに北西の松(まつ)ヶ平(ひら)村を合せたとみられ、旧高旧領取調帳では高四八石余。安永七年(一七七八)には伏野組に属した(大庄屋・小庄屋・横目一覧「農民一揆」所収)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by