伏野村(読み)ふしのむら

日本歴史地名大系 「伏野村」の解説

伏野村
ふしのむら

[現在地名]鳥取市伏野・美萩野みはぎの一―三丁目

三津みつ村の北にあり、北は日本海に面する。西部は砂丘地で、集落は西の小さな谷に集中する。海沿いを東西に伯耆街道が通る。街道筋東方に一里塚があり、その付近に支村中茶屋なかのちややがある(因幡志)。「関東往還記」の弘長二年(一二六二)六月二三日条に一条局が奈良西大寺に寄進した私領のうちに因幡国の伏野保がみえる。慶長一〇年(一六〇五)の気多郡高草郡郷帳に「伏野」がみえ高八九九石余、田五七町三反余・圃一九町九反余、物成七二一石。これはのちの三津村や福井ふくい村などをも含む数値と考えられる。

藩政期の拝領高は四八四石余。寛保二年(一七四二)の高草郡村々下札帳写(賀露神社文書)によると生高六二一石余、本免五ツ七分、藪運上銀四匁五分・塩浜運上米六石が課されていたが、塩浜荒加損五石五斗が控除され塩浜運上は実質五斗となっていた。

伏野村
ふせのむら

[現在地名]清川村伏野

蛇行しながら北流する中津無礼なかつむれ川西岸の台地上にあり、北は井崎いさき村、東は同川を隔て久原くばる(現三重町)正保郷帳伏勢野ふせの村とみえ、田高八三石余・畑高一二〇石余、宇田枝うたえだ郷に属し、柴山有と注記される。安永七年(一七七八)には伏野組に属し、同組大庄屋新太郎の役宅があった(大庄屋・小庄屋・横目一覧「農民一揆」所収)。岡藩小制札場が置かれていた(岡藩御覧帳細注)旧高旧領取調帳では高二〇九石余。なお当村など伏野組の村からは小物成として紙が上納されていた(地方温故集)

伏野村
ふせのむら

[現在地名]宇目町千束せんぞく 伏野

千束村の北西市園いちぞの川支流伏野川沿いに位置。正保郷帳に村名がみえ、田高二八石余・畑高一八石余、宇目郷に属した。旧高旧領取調帳では高六〇石余。寛政八年(一七九六)には小野市組に属し、村位は中、免五ツ四分(「高反別物成品々書抜帳」県立大分図書館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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