大町大路
おおまちおおじ
西から稲村ヶ崎(のちには極楽寺坂)を越えて甘縄に入り、下の下馬で若宮大路と交差し、さらに東に進んで小町大路を過ぎ、名越坂を越えて三浦半島に入る前代からの東海道は、鎌倉の東西を結ぶ主要な交通路であった。この道路のうち、甘縄の東のはずれから名越までが鎌倉時代の大町大路であったらしい。「吾妻鏡」建保元年(一二一三)五月二日条の和田義盛らの反乱の戦闘描写に「於
米町辻・大町大路等之切処
合戦」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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