大町大路(読み)おおまちおおじ

日本歴史地名大系 「大町大路」の解説

大町大路
おおまちおおじ

西から稲村いなむらヶ崎(のちには極楽寺坂)を越えて甘縄あまなわに入り、下の下馬しものげば若宮わかみや大路と交差し、さらに東に進んで小町こまち大路を過ぎ、名越なごえ坂を越えて三浦半島に入る前代からの東海道は、鎌倉の東西を結ぶ主要な交通路であった。この道路のうち、甘縄の東のはずれから名越までが鎌倉時代の大町大路であったらしい。「吾妻鏡」建保元年(一二一三)五月二日条の和田義盛らの反乱の戦闘描写に「於米町辻・大町大路等之切処合戦」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

乞巧奠〈公事十二ケ月絵巻〉〘 名詞 〙 陰暦七月七日の行事。乞巧は技工、芸能の上達を願う祭。もと中国の行事であるが、日本でも奈良時代以来、宮中の節会(せちえ)としてとり入れられ、在来の棚機津女(たなば...

乞巧奠の用語解説を読む