小町大路
こまちおおじ
若宮大路の東側をほぼ平行に、筋違橋から海岸に向かい、夷堂橋で滑川を渡った後、大町大路と交差し、乱橋を渡って材木座に至る道路が、鎌倉時代の小町大路と考えられる。大倉の幕府や若宮大路の幕府、あるいは宇津宮辻子の幕府などの政治的中心部と、材木座から和賀江・飯島などの商業・港湾地区とを結ぶ道路として、鎌倉の街路中でも重要な一つであった。
「吾妻鏡」建久二年(一一九一)三月四日条に、丑刻に小町大路辺りから出火し、南風が激しいため北条義時・時房らの屋敷をはじめとして数十宇が焼亡し、鶴岡若宮の神殿・回廊から大倉の幕府まで焼失したとみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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