大町泥木村(読み)おおまちどろのきむら

日本歴史地名大系 「大町泥木村」の解説

大町泥木村
おおまちどろのきむら

[現在地名]珠洲市宝立町大町泥木ほうりゆうまちおおまちどろのき

鳥越とりごえ村の西、鵜飼うかい川上流にあり、宝立山(黒峰とも)の南斜面に立地。鳳至ふげし郡境。集落は三キロ余を隔てる大町と泥木があり、俗伝では宝立山に近い大町は、黒峰くろみね城に阿部判官が在城した頃の城下町であったが、天正期(一五七三―九二)の兵乱で寂れたという。近世初期には大町は鳥越村に、泥木は弘国ひろくに村にそれぞれ寄せ村になっていたとされる(延享二年「古今記録」妙厳寺蔵)。承応三年(一六五四)の能登奥両郡収納帳では代官富田治太夫管轄の大町泥木分四五石余(免三ツ七歩)、代官与三兵衛管轄の泥木分二五石余(免三ツ七歩)と分れる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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