日本歴史地名大系 「大畑才蔵勝善墓」の解説 大畑才蔵勝善墓おおはたさいぞうかつよしのはか 和歌山県:橋本市学文路村大畑才蔵勝善墓[現在地名]橋本市学文路学文路(かむろ)と南馬場(みなみばば)の境近くの山腹にある。県指定史跡。大畑才蔵は寛永一九年(一六四二)学文路村に生れた。家伝によれば先祖は日高郡亀山(かめやま)城(現御坊市)城主湯河直光の末葉湯川次郎右衛門信光である。才蔵は寛文四年(一六六四)庄屋役を仰せつけられ、元禄九年(一六九六)五五歳で藩役人になった。若い頃より土木水利開発に尽力、とくに同一二年に設計に着手し約一ヵ年かかって開削された那賀(なが)郡の藤崎井(ふじさきい)用水、宝永四年(一七〇七)より三期にわたって工事が行われ、調査段階を含めれば一〇年以上の歳月を要して完成した紀州最大の用水路小田井(おだい)用水の開削は著名である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by