日本歴史地名大系 「大畔村」の解説 大畔村おおぐろむら 千葉県:流山市大畔村[現在地名]流山市大畔水路を隔てて桐(きり)ヶ谷(や)三ヵ村の東に位置する。南は小谷津を隔てて三輪野山(みわのやま)村に連なり、台地上より直下の谷津に向けて開ける。「本土寺過去帳」(中・一七日条)の道了位には大永四年(一五二四)一一月の年紀があり、「大黒」と注記がある。寛文期(一六六一―七三)と推定される国絵図に村名がみえ、元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高一四七石余。元和(一六一五―二四)以前から旗本永田領であったとされ、「寛政重修諸家譜」によれば永田正次は寛永一八年(一六四一)に「采地下総国葛飾郡大畔村」に葬られている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報