大窪番所跡(読み)おおくぼばんしよあと

日本歴史地名大系 「大窪番所跡」の解説

大窪番所跡
おおくぼばんしよあと

[現在地名]大豊町大久保

北流する吉野川の左岸、阿波国との国境近くに置かれた道番所。慶長九年(一六〇四)二月二四日付の大久保番方に宛てた文書(桑名家文書)に「為支配豊永蔵入之内を以居屋敷共に参反令扶持候」とあり、この時、桑名家が番人に任じられている。寛永九年(一六三二)二月二一日付で四反が加増され、また明暦四年(一六五八)三月一四日には開発した新田六反を役知にすべく願出ている(同文書)。延享二年(一七四五)の豊永郷差出控(大家家蔵)には「七石大久保口番人桑名源七給田」「十一石二斗畠桑名源七役知」とあり、また「道番一人大久保口道番庄屋桑名源七」とも記され、大窪村の庄屋役も兼務している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 土蔵 世襲 図面

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

大寒の用語解説を読む