すべて 

大築城跡(読み)おおづくじようあと

日本歴史地名大系 「大築城跡」の解説

大築城跡
おおづくじようあと

[現在地名]都幾川村西平

西平にしたいら南西椚平くぬぎだいらおよび越生おごせ町との境をなす標高四六六メートルの大築山(大津久山)の山頂に形成された戦国期の山城。城の北五キロにある慈光寺に残される都幾山慈光寺実録などによると、小田原北条氏の家臣松山まつやま(現吉見町)の城主上田朝直は大築山に出陣し、同寺をうかがい焼打ちしたとされる。同寺の調査や当城の構造からみて、築城は上田氏によるものと考えられ、その年代は天文年間(一五三二―五五)以降と思われる。中腹にモロドノ郭とよばれる小口郭を配する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

すべて 

日本の株式の水準を示す、東京証券取引所第1部225銘柄の平均株価。単位は円。構成銘柄は時価総額の分布の変化などにより、適宜入れ替えられている。現在の形になったのは1985年5月からである。ダウ・ジョー...

日経平均株価の用語解説を読む