日本の城がわかる事典 「大築城」の解説 おおづくじょう【大築城】 埼玉県比企郡ときがわ町にあった中世の山城(やまじろ)。隣接する越生(おごせ)町との境界にある大築山(標高456m、比高約250m)の山上に築かれていた。戦国末期に松山城(比企郡吉見町)の上田朝直により北条方の城として築かれたともいわれる。近隣の慈光寺の寺伝『慈光寺実録』には「小田原北条の家臣である松山城主上田朝直が、大津久山に出陣し慈光寺の動静を探り焼き討ちを行い観音堂を残して堂宇がことごとく灰燼に帰した」との記録があるが、これによれば、朝直が関東屈指の大寺院であった天台宗の関東別院慈光寺を攻略するに際して造られた城ということになる。また、別の記録には1446年(文安3)に吾那左ヱ門尉憲光が居城としたとあり、築城年代、築城者、歴史的な経緯も不明の謎の多い城郭である。この城の存在は長い間忘れられていたが、1968年(昭和43)9月の台風で城跡付近の山林で倒木が多数発生し、その復旧の際に発見された。同城は大築山の山頂から尾根にかけて、本郭を含む5つの郭が直線上に並び、2ヵ所の規模の大きな堀切があった。また、同城入り口部の南方向の峠には、「モロドノ郭」と呼ばれる小規模な出城があったことも確認されている。本郭北側の土塁跡や空堀跡などが残っている。JR八高線・東武越生線越生駅から黒山行バスで麦原入口下車、徒歩約90分。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報