大蔵庄
おおくらのしよう
荘域は現在の大倉・小泉・平井・吉田・二丁掛・冬島を含む一帯に比定される。
嘉応元年(一一六九)一一月日付の権大僧都顕―解案(東大寺文書)に「請特被下 宣旨、遣官使堺四至打
示、永被停止国使等入勘最勝寺領越前国字大蔵庄壱処状」として「在管丹生北郡内 四至東限泉郷堺 南限
条弐里 西限音木社西 北限石田庄堺」とある。これによれば、もと入道太政大臣(平清盛)家領であったが、永万(一一六五―六六)の頃、鳥羽天皇の御願寺最勝寺(跡地は現京都市左京区)に寄進され、調庸租税の免除はもとより、役夫工・造内裏・御願寺・大嘗会・国司初任曳出物・乳牛など臨時雑役の停止を旨とする太政官符を受け、不輸の地とされた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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