大谷尻遺跡(読み)おおたにじりいせき

日本歴史地名大系 「大谷尻遺跡」の解説

大谷尻遺跡
おおたにじりいせき

[現在地名]三野町勢力

東三好(ひがしみよし)橋の北東約一・五キロにある段丘上の独立丘陵、標高一三五―一四五メートルの頂部にある弥生時代の高地性集落。平地部との比高約五〇メートルを測る。古くから弥生土器や石鏃が採集され、山頂部から一メートル下がった地点に屋形(やかた)神社がある。中世の山城の屋形山(やかたやま)城跡として知られたが、昭和四五年(一九七〇)には高地性集落として紹介された。西接する段丘には弥生中期の集落跡である丸山(まるやま)遺跡、南東の平地部には弥生後期から終末期の集落跡である加茂野宮(かものみや)遺跡がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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