大野川村(読み)おおのがわむら

日本歴史地名大系 「大野川村」の解説

大野川村
おおのがわむら

[現在地名]安曇村大野川

乗鞍のりくら岳火山の泥流台地上に立地。標高一二〇〇メートルに位置する。村を小大野こおおの川とまえ川が流れ、村名は川名に由来。鈴蘭小屋付近を流れるわさび沢沿い、番所の馬背うまのせ宮原みやのはら位沢くらいざわ(中畑)から縄文早期の土器石器が出土しており、位沢からは土師器・石組竈、楢木坂ならのきざかからは灰釉陶器破片が発見されている。番所(馬所か)・馬背等の牧場関係地名の存在すること、明治以後放牧地として利用されており、放牧適地であること等から、古代、梓川出口の右岸山麓(現波田はた町)に存在した大野牧の放牧場であったことが想像される。また、中平なかだいら下の旧大野川集落上村わむら中世のかいとの存在を推定させる「かいと」の地字がある。

初見は、天正一一年(一五八三)八月一四日小笠原貞慶が二木豊後守にあてた書状に「おふのかは」とある。それによると、小笠原貞慶は二木豊後守にいねこき奈川ながわ・大野川の代官と、西牧領の河西かわにしの白木・材木・薪を二木市(現三郷みさと村一日市場)で商売すべきことを命じている。中世には西牧領であり、松本平の材木供給地であった。慶長一九年(一六一四)九月七日小笠原秀政は二木豊後守に西牧の惣山作衆に一人で広敷板一〇〇枚ずつを調進するよう下知している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報