大隈栄一(読み)オオクマ エイイチ

20世紀日本人名事典 「大隈栄一」の解説

大隈 栄一
オオクマ エイイチ

明治〜昭和期の実業家



生年
明治3年9月3日(1870年)

没年
昭和25(1950)年2月5日

出生地
佐賀県神崎郡目達原

主な受賞名〔年〕
緑綬褒章〔昭和3年〕

経歴
明治23年独学で福岡県巡査の採用試験に合格、巡査となったが、31年名古屋に出て大隈麵機商会設立製麵機製造販売を始め、大正5年大隈鉄工所と改称工作機械の生産に乗り出した。7年株式会社に改組社長となり、昭和3年組網機の研究を始めた。11年大隈鋳工と東洋組網工業を設立し社長となった。15年名古屋商工会議所副会頭、17年旭兵器製造を設立、社長。20年大隈鉄工所を大隈興業、旭兵器を旭大隈産業と改称した。22年旭大隈産業会長、23年大隈興業相談役を歴任

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大隈栄一」の解説

大隈栄一 おおくま-えいいち

1870-1950 明治-昭和時代の実業家。
明治3年9月3日生まれ。31年大隈麺機(めんき)商会をつくる。大正7年株式会社として大隈鉄工所(現オークマ)を発足させ社長となる。製麺機のほか工作機械,銃弾製造機などを製造。昭和11年大隈鋳工,17年旭兵器製造を設立した。昭和25年2月5日死去。79歳。肥前神崎郡(佐賀県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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