日本歴史地名大系 「天下島村」の解説 天下島村あまがしまむら 新潟県:栃尾市天下島村[現在地名]栃尾市天下島一―二丁目刈谷田(かりやだ)川左岸に立地。河岸段丘となっている上部の天下島台地と下部の氾濫原からなり、天下島江が水田を潤す。南は宮沢(みやざわ)村、北は栃尾町(とちおまち)村・滝之下(たきのした)村、対岸の東は平(たいら)村、西の山手背後は大野(おおの)村・栃尾町村。新道である本通りと旧道の東谷(ひがしだに)道、山際の村道の三本の道が通る。刈谷田川はかつて村中を流れ、川と西の山裾にかけての通称かみ(韮沢姓)・なか(大崎姓)・しも(石原姓)の三軒が集落の発祥といわれる。文明年間(一四六九―八七)の長尾・飯沼氏等知行検地帳(上杉家文書)に飯沼弾正左衛門尉分高波(たかなみ)保のなかに塚田右京亮分と古志六郎右衛門尉分に各々「天島」がみえる。また明応六年(一四九七)の国衙之帳(「古文書集」所収文書)に「四百廿四文 大平寺」とある地は、西端上の原(うえのはら)に残る大平寺原(たいへいじはら)であろう。永禄三年(一五六〇)一〇月吉日の貫屋家兼売券案(来田文書)に「あまか島」がみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報