栃尾町村(読み)とちおまちむら

日本歴史地名大系 「栃尾町村」の解説

栃尾町村
とちおまちむら

[現在地名]栃尾市栃尾町・おお町・おもて町・あら町・谷地やち一―二丁目

栃尾城跡のある鶴城かくじよう山の東側山麓に開かれた根小屋町。刈谷田かりやだ川・西谷にしだに川・塩谷しおたに川流域の西谷・東谷ひがしだに塩谷北谷きただにの要の位置にある。栃尾城大手門前の大町・七日なのか町・よこ町を中心として構成され、永禄三年(一五六〇)一〇月吉日の貫屋家兼売券案(来田文書)に「とちほの町」とある。元和六年(一六二〇)牧野氏の長岡藩領になると、北の栃尾浦とちおうら村寄りに郷蔵所、横町御旅屋おたやとよばれる代官常住の役所が置かれた。同年の長岡藩知行目録では栃尾町とあり、高四六石六斗余。正保国絵図には記載がない。町割が実施されたのは延宝三年(一六七五)の屋敷改検地で、このとき表間口割の地子役制が定まった(富川家文書)。同検地による表間口合計は四二〇間余で、地子米は六石二斗余。大町・七日町・横町のほか新町向谷内むかいやち塩谷小路しおたにこうじが栃尾町村として扱われている。近世後期には地子米が銀納に変わり、文化六年(一八〇九)の万掛改書法書(同文書)によると、一間につき一三〇―二七七文の間であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報