天久村(読み)あみくむら

日本歴史地名大系 「天久村」の解説

天久村
あみくむら

[現在地名]那覇市天久あめく一―二丁目・天久・上之屋うえのや一丁目・上之屋・おもろまち二―三丁目・とまり三丁目

とうまい村の北に位置し、西は海(現那覇新港)に面する。小字天久原あみくばる集落が形成されていた。近世中期以後は真和志まーじ間切所属。「おもろさうし」巻一五の三、浦添おもろに「あめくにや」(天久仁屋)みえ、古くは浦添うらしー間切に所属。嘉靖一五年(一五三六)五月一三日の辞令書(田名家文書)に「にしはらまきりのあめくのさとぬしところ」とみえ、田名家四世真孟が天久里主所の地頭職に任じられており、この頃村は「にしはらまきり」(西原間切)に属していた。翌一六年八月「たうへまい(る)よつきとミかせん(とう)(渡唐船世続富船頭)職が「あめくの大や(くもい)(真孟)に与えられている(「辞令書」同文書)。同二四年一一月六日、真孟は真和志間切の「きまのかなくすくのさとぬしところ」(儀間金城里主所)を与えられ(「辞令書」同文書)、天久地頭職から儀間金城じーまかなぐしく地頭職に転任となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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