天狗岩用水(読み)てんぐいわようすい

日本歴史地名大系 「天狗岩用水」の解説

天狗岩用水
てんぐいわようすい

慶長六年(一六〇一)総社そうじやに入封した秋元長朝は、さっそく新総社城の建設と水田開発のための用水開削を計画した。両者は別個のものでなく、新城の堀の水を引水し、その流末を灌漑用水としても利用しようとするものであった。当時の総社領は「稲田数千畝無所受水」の状況で、水田開発のためには利根川の水の利用が必至であった(力田遺愛碑)。しかし総社城付近では利根川の水面地表から一〇メートル余も低いため、かなり上流の他領域で取水することが求められる。当初の取水口は、現在よりはるか下流の現北群馬郡吉岡よしおか大久保瀬来おおくぼせらい辺りであったと思われる。工事のための測量基点は現在前橋問屋団地の中にある丁間ちようけん稲荷(円墳)であったと伝える。また領民を督促して工事に当たらせるため、秋元氏は三年間の免租を行ったという(秋錦録)。これに応じ領民はこぞって工事に参加し、総社領以外の水下の村々も大いに協力した。しかし取水口付近で大岩に突当り、工事は難航した。この時一人の山伏が現れ、工事を指揮し、大岩を掘割り水路を完成させた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の天狗岩用水の言及

【利根川】より

…この地域の利根川は傾斜がかなり急であるため,利根川が関東平野に流れこむ地点に合口をつくって,利根川沿いに水を供給する方法をとった。これが坂東合口(1950完成)で,広瀬川低地の広瀬・桃木両用水,前橋台地を灌漑する天狗岩用水,赤城山麓を灌漑する大正用水などを分水する。さらに利根川総合開発の一環として,大正用水より上方の赤城山南麓や榛名山東麓,子持山南東麓を灌漑する群馬用水(1970完成。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」