日本歴史地名大系 「天磐門別神社」の解説
天磐門別神社
あまのいわとわけじんじや
「国郡志下調書出帳」は「三代実録」貞観五年(八六三)一〇月二九日条に記す「安芸国正六位上天磐門別神」に比定する。「芸藩通志」は「古語拾遺に、天照太神入于天石窟時、群神歌楽、令天手力雄神引啓其扉、遷坐新殿令豊磐間戸命、櫛磐間戸命守衛殿門、とあり、旧事紀に、天石戸別神、亦名櫛石窓神とあり、されば此地に石窟あるより、此神を祭しならむ、隣村を岩戸と称し、その村の祠官、今に祭儀を掌れば、古は一村にて、後に分るならんか、且当村を宮迫と称するも、神社より起る名と見ゆ、されば古は大社なりしが、後衰微に及べるにや」と記し、文政八年(一八二五)四月には、狭田氏橘臣家吉も「岩戸宮略記」(「大朝町史」所収)を著している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報