平安初期に書かれた歴史書。著者は斎部広成(いんべのひろなり)。1巻。807年(大同2)2月13日完成。忌部(斎部)氏は大和朝廷時代には中臣氏と並んで祭祀を担当していたが,大化改新後は中臣氏から藤原氏が出て政界で有力になると,中臣氏も奈良時代には祭祀関係の要職を独占するようになった。これを歎いた広成は,806年8月に幣帛使の任命をめぐって中臣氏と争い,平城天皇から下問のあったのを機会に,一族の長老として自氏の伝承をまとめ,天皇に献上したのが本書である。内容は朝廷の祭祀の由来や変遷を主題とし,《古事記》や《日本書紀》と同じ系統の伝承に,忌部の分布や三蔵(斎蔵,内蔵,大蔵)の分立など,忌部氏独自の伝承を加え,祭祀における忌部の役割の重要性を強調している。記紀を補って日本の神話や祭祀の研究に有用な一資料。《群書類従》などに所収。またフロレンツK.Florenzの独訳(1919),加藤玄智・星野日子四郎の英訳(1926)がある。
執筆者:青木 和夫
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古代の氏族である斎部(いんべ)氏の由緒を記した歴史書。斎部広成(ひろなり)の撰述(せんじゅつ)で、807年(大同2)に成立。祭祀(さいし)を担当した斎部氏が、同様の職掌に携わっていて勢いを強めた中臣(なかとみ)氏に対抗して、正史に漏れている同氏の伝承を書き記したもの。本書は、正確にいうと、斎部氏によって提出された愁訴(しゅうそ)状であって、『古語拾遺』は後人による命名。伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)の二神の国生みと、神々の誕生神話から筆をおこし、757年(天平宝字1)の時代までのことが記述されており、斎部氏の氏族伝承をはじめ、記紀に並ぶ古代史の貴重な文献である。
[佐伯有清]
『安田尚道・秋本吉徳校註『古語拾遺・高橋氏文』(1976・現代思潮社・新撰日本古典文庫)』
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斎部広成(いんべのひろなり)が807年(大同2)に著した歴史書。斎部氏は中臣氏と並び古くから朝廷の祭祀を管掌してきたが,大化の改新以降,中臣氏からでた藤原氏が政界で有力になるにしたがい,神祇関係の要職は中臣氏が独占するようになった。広成はこのような状態を嘆き,806年に幣帛使(へいはくし)の任命を中臣氏と争ったのを機に,斎部氏の立場からの史書を編み,平城天皇に献上した。神代から文武朝までの記事とそれ以降の補足的記述からなり,「日本書紀」「古事記」に漏れた伝承が少なくなく,日本の神話や古代史研究上の重要史料である。「群書類従」「岩波文庫」所収。ドイツ語訳や英語訳もある。
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…生没年不詳。後に《古語拾遺》とよばれる1巻の上表文を平城天皇に提出した807年(大同2),〈齢,既に八十を逾(こ)ゆ〉とみずから書いているので,720年代後半の生れとみられる。位は翌年に従五位下。…
…これらが《新撰姓氏録》の基礎となったが,氏文もその一つである。平安時代に提出された《高橋氏文》は,伝統的な氏である膳(かしわで)氏が高橋朝臣と改姓されてから,安曇(あずみ)氏に対する自己の氏の由来をまとめたもので,《古語拾遺》も,斎部(いんべ)氏が中臣(なかとみ)氏に対して,みずからの立場を主張した氏文と考えてよい。ほかに《丹生祝氏文(にうはふりうじぶみ)》なども残っている。…
…《古事記》や《日本書紀》の神話は,たしかに神道的な諸観念をよくあらわしているが,神々の祭りに際して,記紀の神話が教典として読誦されるようなことはなかった。《古語拾遺》や《風土記》も教典とされ,中世では《先代旧事本紀》も重んぜられた。しかし,それらは古典に対する知識を持つ神官の間で尊重されただけで,庶民が記紀の神話を教典として読んだわけではない。…
※「古語拾遺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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