天章澄彧(読み)てんしょう ちょういく

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「天章澄彧」の解説

天章澄彧 てんしょう-ちょういく

1379-? 室町時代の僧,漢詩人。
康暦(こうりゃく)元=天授5年生まれ。加賀(石川県)の人。臨済宗相国寺の空谷明応(くうこく-みょうおう)に師事し,応永2年出家。のち絶海中津(ぜっかい-ちゅうしん)に詩文をまなぶ。永享2年(1430)までは生存。道号ははじめ希周。別号に呆庵,栖碧散人。伝記に「常光国師行実」,詩文集に「栖碧稿摘藁(せいへきこうてきこう)」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の天章澄彧の言及

【漢詩文】より

…その後義堂周信,絶海中津も和様に流れることきわめて少なかった。 室町時代に入っても惟肖得巌(いしようとくがん),天章澄彧(てんしようちよういく)などは漢風の作品を生まんと努めたし,和様が加わっても,骨格が漢文本来の文脈をくずさなかった作者に,瑞渓周鳳(ずいけいしゆうほう),横川景三(おうせんけいざん)があった。室町時代後半には五山僧の文学創作欲は衰え,代わって中国儒典の研究熱をたかめ,この方面の学者,たとえば桂庵玄樹(けいあんげんじゆ),文之玄昌(ぶんしげんしよう)(南浦)などが,かたわら詩文を製した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」