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空谷明応 くうこく みょうおう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

空谷明応 くうこく-みょうおう

1328-1407 南北朝-室町時代の僧。
嘉暦(かりゃく)3年6月24日生まれ。近江(おうみ)(滋賀県)の人。臨済(りんざい)宗。夢窓疎石(むそう-そせき),無極志玄(むごく-しげん)にまなび,その法をつぐ。美濃(みの)天福寺,京都の大光明寺,相国(しょうこく)寺などの住持をつとめる。五山文学者としても知られ,足利義満らの帰依(きえ)をうけた。応永14年1月16日死去。80歳。俗姓は熊谷。諡号(しごう)は仏日常光国師。語録に「仏日常光国師語録」。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

空谷明応

没年:応永14.1.16(1407.2.23)
生年:嘉暦3(1328)
南北朝・室町初期の臨済宗の僧。近江(滋賀県)生まれ。熊谷直勝の子。9歳で広済寺の志徹に投じ,その後,夢窓疎石に参じた。夢窓は高弟無極志玄につけ,空谷はその法を嗣いだ。一方で碧潭宗皎や中巌円月などから仏典・外典を学び,道学兼備の人として絶海中津と共に叢林の二甘露門と称された。五山文学でも重きをなし足利義満の帰依を受けた。永和1(1375)年美濃の天福寺,その後京都の大光明寺,天竜寺などに歴住し,鹿苑院の塔主,僧録を勤め,生存中に後小松天皇から仏日常光国師の諡号を受けた。著書に『常光国師語録』(『大正蔵』81巻)などがある。<参考文献>卍元師蛮『本朝高僧伝』37巻

(藤田正浩)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

空谷明応
くうこくみょうおう
(1328―1407)

南北朝時代の臨済(りんざい)宗夢窓(むそう)派の僧。別号は若虚(じゃくきょ)。近江(おうみ)国(滋賀県)浅井郡の人。9歳で同国宏済寺の志徹(してつ)に随(したが)って出家し、臨川寺の無極志玄(むごくしげん)の門に学び、のち天竜寺の夢窓疎石(そせき)に師事する。また東陵永(とうりょうえいよ)、中巌円月(ちゅうがんえんげつ)、蒙山智明(もうざんちみょう)らに参じ、近江金剛寺、美濃(みの)(岐阜県)天福寺に住したのち、足利義満(あしかがよしみつ)の請いにより1384年(元中1・至徳1)等持(とうじ)寺に、ついで86年相国(しょうこく)寺に昇住した。94年(応永1)火災後の相国寺の復興にあたり、その間に後小松(ごこまつ)天皇より仏日常光(ぶつにちじょうこう)国師の号を特賜された。さらに天竜寺にも出世し、応永(おうえい)14年正月16日示寂。五山文学者としても著名で、『語録』『臨済録直記』などの著がある。[石川力山]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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