天草四郎聖堂跡(読み)あまくさしろうせいどうあと

日本歴史地名大系 「天草四郎聖堂跡」の解説

天草四郎聖堂跡
あまくさしろうせいどうあと

[現在地名]大矢野町中

西に有明海を望む字宮津みやづにある。寛永一四年(一六三七)天草島原の乱時、天草四郎(益田四郎時貞)は当聖堂を根拠に天草各所へ往来し、キリシタンへの立帰りを勧めて一揆の組織化を広げたと伝えられる。一揆勢が幕府軍に抗戦・籠城したはら(現長崎県南高来郡南有馬町)唯一の生残りとされる山田右衛門の口上覚書写(川口文書)に「四郎ハ大矢野宮津と申所ニ人数七百ほとかたらひ宗門を取立罷有候」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 バテレン

乞巧奠〈公事十二ケ月絵巻〉〘 名詞 〙 陰暦七月七日の行事。乞巧は技工、芸能の上達を願う祭。もと中国の行事であるが、日本でも奈良時代以来、宮中の節会(せちえ)としてとり入れられ、在来の棚機津女(たなば...

乞巧奠の用語解説を読む