日本歴史地名大系 「天見村」の解説 天見村あまみむら 大阪府:河内長野市天見村[現在地名]河内長野市天見天見谷の最も奥にあり、天見・下天見(しもあまみ)・上天見・島谷(しまのたに)・出合(であい)・茶屋出(ちややで)・見坂(みさか)の集落がある。高野街道に沿い、北は上岩瀬(かみいわぜ)村、西は流谷(ながれたに)村、南は紀見(きみ)峠で紀伊国に接する。正慶二年(一三三三)正月、楠木正成が前年一二月赤坂(あかさか)城(現南河内郡千早赤阪村)を奪回したのに続いて、甲斐(かい)庄安満見(あまみ)で合戦して紀州勢を破り、勢いをかって天王寺(てんのうじ)(現天王寺区)まで進出し、次いで千早(ちはや)城(現千早赤阪村)に挙兵した。「楠木合戦注文」には「一、今年正慶二正月五日、於河内国甲斐庄安満見、致合戦、打死人々、紀伊国御家人井上入道 上入道 山井五郎以下五十余人、皆為楠木被打畢」と記される。天見村と流谷村はかつて一村であったが、建武年間(一三三四―三六)に分れたという(大阪府全志)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by