高野街道(読み)こうやかいどう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

高野街道
こうやかいどう

一般には,高野山に向う道の総称で,特に京都・大阪方面から高野山への参詣道として開かれた古い街道。京都からの東高野街道 (現国道 170号線に相当) ,中高野街道 (大阪府平野から) ,大阪府堺からの西高野街道 (現国道 310号線にほぼ相当) の3本があり,中高野街道は狭山池の西で西高野街道と合し,さらに河内長野市三日市で東高野街道と合して1本となり,和泉山脈紀見峠紀ノ川沿岸の橋本を経て,高野山に通じていた。このほか大阪天王寺からの下高野街道,和歌山県有田から高野山に向うもの,奈良県新庄からのものも高野街道と呼ばれた。

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百科事典マイペディアの解説

高野街道【こうやかいどう】

京・西国方面から紀伊高野山への参詣路。山城八幡(やわた)を起点とする東高野街道,摂津平野を起点とする中高野街道,和泉堺を起点とする西高野街道があり,3ルートとも南下して和泉山脈東部の紀見(きみ)峠を越え,紀ノ川北岸の慈尊院から町石(ちょういし)道を通って高野山大門に至る。平安中期から上皇の相次ぐ登山や貴賤衆庶の高野詣が盛んになり,町石道には鎌倉後期に登山の目安となる町数を記した石造卒塔婆180本が建てられた。
→関連項目飯盛城餌香市神野真国荘平野郷

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世界大百科事典内の高野街道の言及

【紀見峠】より

…紀伊見(きいみ)峠ともいう。峠道は平安時代初期に南海道の官道として整備され,次いで高野参詣が盛んとなってから高野街道と呼ばれた。高野街道は南河内から紀ノ川流域に至る唯一の幹線道路で,京都,大阪,堺方面からの高野山巡礼者の往来でにぎわい,江戸時代には峠に宿屋,掛茶屋が並び,紀州藩によって番所が設置されていた。…

【橋本[市]】より

…人口5万3469(1995)。古来,大阪方面から高野山への高野街道と,和歌山から大和への大和街道が十文字に交差し,かつ紀ノ川水運の河港でもあった。古くは市域西部に高野山領相賀(おうが)荘,北東部に石清水(いわしみず)八幡宮領隅田(すだ)荘があった。…

※「高野街道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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