日本歴史地名大系 「天誅組志士幽閉の倉」の解説 天誅組志士幽閉の倉てんちゆうぐみししゆうへいのくら 和歌山県:日高郡龍神村小又川村天誅組志士幽閉の倉[現在地名]龍神村小又川日高川とその支流小又(こまた)川の合流点より、小又川沿いに少し上流に上った津越(つごえ)にある。県指定史跡。文久三年(一八六三)八月、中山忠光を擁して討幕の兵を挙げた天誅組は、大和五条(ごじよう)代官所や大和高取(たかとり)城を攻撃したが、同年八月一八日の政変によって政情が一変、朝敵とされて諸藩兵から追討される身となった。この天誅組のうち、あくまで抗戦を主張した水郡善之祐を筆頭とする河内勢は本隊を脱隊、大和十津川(とつかわ)郷上湯川(かみゆのかわ)村へ逃亡、その後、和歌山藩兵などの攻撃にあい、ついに九月二二日隊長吉本任のもとに自首した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by