太夫浜村(読み)たゆうはまむら

日本歴史地名大系 「太夫浜村」の解説

太夫浜村
たゆうはまむら

[現在地名]新潟市太夫浜

まつ崎浜さきはま村の東方砂丘上に立地する漁業集落で、南は神谷内かみやち新田、東は島見浜しまみはま村に接する。日本海に面し、東西に北国浜街道が通じる。源義経が都落ちの途次通行したという伝説があり、義経の乗馬太夫黒は当村の産と「越後野志」は記す。近世を通して新発田藩領で、慶長三年(一五九八)頃の御領内高付帳(新発田市史資料)に大夫浜六石四斗二升と記され、ほかに塩年貢浦役六石九斗五升とある。同一五年頃の給知方ほど役帳(同資料)に当村は山手一石が記される。同一七年の御蔵納同払方帳(同資料)には大夫浜地役二石一斗余・同ほど役一石五升がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む