太子西山古墳(読み)たいしにしやまこふん

日本歴史地名大系 「太子西山古墳」の解説

太子西山古墳
たいしにしやまこふん

[現在地名]太子町太子

敏達天皇陵に治定される。奥城(おくつき)古墳ともいい、葉室(はむろ)集落の西方、南北に延びる丘陵鞍部に位置する北西向きの前方後円墳。墳丘全長一一三メートル・前方部幅六七メートル・後円部径五八メートル、二段築成の古墳で、天皇陵としては最後の前方後円墳といわれる。敏達天皇は「日本書紀」敏達天皇一四年八月一五日条に「天皇、病弥留りて、大殿に崩ず」、崇峻天皇四年四月一三日条に「訳語田天皇を磯長陵に葬る、是其妣(はは)皇后の葬られし陵なり」とみえる。「延喜式」(諸陵寮)には「河内磯長中尾陵」として「訳語田宮御宇敏達天皇、在河内国石川郡、兆域東西三町、南北三町、守戸五烟」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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