太田本江村(読み)おおたほんごうむら

日本歴史地名大系 「太田本江村」の解説

太田本江村
おおたほんごうむら

[現在地名]富山市太田おおた大宮町おおみやちよう太田南町おおたみなみちよう

いたち川右岸に位置し、富山城下新庄新しんじようしん町からの道の合流点にあたる交通の要地で、立山道が通る。中世の太田保の本郷であったことから初め太田本郷と記したという(越中志徴)。元亀三年(一五七二)五月二四日の鰺坂長実書状(上杉家文書)によると、同月一九日に上杉方の河田長親が「太田之内本郷」に陣を布いている。天正六年(一五七八)織田信長が上杉勢を駆逐するため斎藤新五を飛騨から派遣し、今泉いまいずみ城の椎名小四郎・河田長親に対する布陣として当地に城を築かせたが(信長公記)、この城は太田本郷城、別名たちの城と称したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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