太田渡(読み)おおたのわたし

日本歴史地名大系 「太田渡」の解説

太田渡
おおたのわたし

中山道が木曾川を越す舟渡場で、碓井うすい峠・木曾桟きそのかけはし(現長野県)と並ぶ難所。「吾妻鏡」承久三年(一二二一)六月三日・五日条に記す承久の乱の戦場大井戸おおいど渡は当所とする説もある。慶長一五年(一六一〇)の太田渡船頭屋敷安堵状(長谷川文書)に「高三石九斗九升六合 太田渡船頭八人之屋敷 如先規之 大久保石見守奉之 被下置者也」とある。この船頭町は上町の南にある付町で、尾張藩領の石高に含まれない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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