太良院
たらいん
現大口市の川内川以南および菱刈町の南半にあたる。北方の牛屎院と合せ菱刈両院と総称された。当院の範囲は、近世の本城・馬越・湯之尾(現菱刈町)、曾木にあたるとされる(「三国名勝図会」など)。また古くは平院といい、南浦(現菱刈町)の太良城を平城・平良城というのはその名残だという(菱刈史)。保元元年(一一五六)一一月一日菱刈氏の祖重妙が後白河天皇より「大良院」七〇〇余町を与えられ、建久五年(一一九四)京都より菱刈郡太良院に下向したというが(「菱刈氏由緒書」菱刈文書)、疑わしい。太良城を居城とし、入山(現菱刈町)に弟彦四郎師重を、馬越に庶子太郎重隆を、曾木に三男三郎重茂を配したという(「藤原姓菱刈氏系図」同文書など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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