日本歴史地名大系 「奈和村」の解説 奈和村なわむら 鳥取県:西伯郡名和町奈和村[現在地名]名和町加茂(かも)梶原(かじわら)村の南東にある。古くは能(のう)村と称し(正保国絵図)、梶原村の賀茂神社の天和三年(一六八三)の棟札には能村の庄屋難波弥次兵衛の名がみえるが、享保一〇年(一七二五)以降の棟札には奈和村とある。拝領高二四九石余、本免五ツ三歩。宝永七年(一七一〇)の汗入郡郷庄人家等改(名和町誌)によれば家数一〇、男九九・女九二、牛一〇・馬三。天保三年(一八三二)の山林反別は七反余(藩史)。幕末の六郡郷村生高竈付では生高三六一石余、竈数五一。日間(ひま)郷(現大山町)四ヵ村と大山領前(まえ)村・鈑戸(たたらど)村(現同上)とは、阿弥陀(あみだ)川の用水問題で数年来争論となっていたが、安政二年(一八五五)当村の喜三右衛門と梶原村の真島市郎兵衛は協力して和談を成立させている(在方諸事控)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報