日本歴史地名大系 「奈多村」の解説 奈多村なたむら 福岡県:福岡市東区奈多村[現在地名]東区奈多・奈多団地(なただんち)・雁の巣(がんのす)一―二丁目・奈多一―三丁目・塩浜(しおはま)三丁目など裏粕屋(うらかすや)郡に所属。「続風土記」などは奈多浦とする。もとは北東の三苫(みとま)村の内(続風土記附録)。立花(たちばな)山の西、海の中道(うみのなかみち)の付根付近に位置し、博多湾と玄界灘に臨む。建武元年(一三三四)四月三〇日の後醍醐天皇綸旨(大友文書/南北朝遺文(九州編)一)で、香椎宮の大宮司氏光に対し大宮司職とともに「奈多有次名田」などの知行が安堵されている。 奈多村なだむら 大分県:杵築市奈多村[現在地名]杵築市奈多東方は白砂青松の海岸に接して平坦地が多く、北西は傾斜地の台地にある村。天文一八年(一五四九)正月一二日の国東郷大工職源董次覚書(今富文書)に「安岐郷大工式(ママ)之事、三郎左衛門尉源宗貞ヨリシテ分ル也、同奈多庄同八幡宮所領大工同前也、次男新六方」とみえる。小倉藩元和人畜改帳では二筆に分けて記され、長岡興長知行分は高八九六石余、家数七三・人数一〇三(うち本百姓一四・社人七・名子一三・出家一)、牛二五・馬一、御蔵納分は高五二石余、家数七・人数一〇(うち本百姓二・名子一)、牛二とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by